日本で最初のブルートレイン、寝台特急「あさかぜ」は「動くホテル」と呼ばれていました。
ただ、20系客車のB寝台の寝台幅は52cmと狭く、しかも3段寝台で一人当たりのスペースがものすごく窮屈です。
そんな列車が「動くホテル」と呼ばれたのはなぜか。
時代背景もあったでしょうが、調べてみました。
全車両冷房完備が「動くホテル」と呼ばれた理由
20系「あさかぜ」が運転開始したのは、1958年(昭和33年)10月1日。
当時、冷房完備の宿泊施設は一流ホテルのみでした。
それまで、客車列車の冷房は、一部の優等車両のみ。
それが、全車両が冷房完備となり、夏場でも快適に過ごすことができました。
これが「動くホテル」とか「走るホテル」と呼ばれる理由です。
寝台の設備などは、20系より前の10系とほぼ変わりありません。
3等寝台(今でいうB寝台)も、寝台幅52cmの3段寝台で、横になるのが精一杯という狭さでしたが、エアコンの効いた列車内で横になって移動できるのが、当時は画期的でした。
電源車が「動くホテル」を実現させた
20系ブルートレインが登場以前の客車・寝台車は、ほとんどの車両で冷房設備がありませんでした。
あっても、ごく一部の優等車両のみ。
それが、20系ブルートレインでは、優等車両だけでなく、全ての車両に冷房装置が搭載されました。
それを可能にしたのが電源車です。
電源車にはディーゼルエンジンと発電機が2組搭載されています。
電源車の登場により、20系ブルートレインでは編成の全車両に電気を供給することが可能になりました。
それまでは、冷房装置のある優等車両に設置された発電機で冷房装置を駆動していました。
暖房についても、それまで蒸気暖房が主流だったのが、電気暖房に変わりました。
蒸気暖房とは、蒸気機関車のボイラーの蒸気や電気機関車・ディーゼル機関車の蒸気発生装置の蒸気を蒸気管で各車両に供給する暖房方式です。
編成の完全電化ということで、冷暖房装置の空調設備以外に食堂車の電気レンジや電気冷蔵庫などの厨房設備も電化されました。
電化以前の厨房設備は、石炭レンジと氷で冷やす冷蔵庫でした。
車内の電灯は、それまで車軸発電機を利用していましたが、20系ブルートレインでは電源車から供給される電気を使いました。
電源車による全車両の完全電化により「動くホテル」が実現されたといってもよいでしょう。
さいごに
初代ブルートレイン、20系「あさかぜ」が「動くホテル」と呼ばれた理由についてでした。
それまで、冷房は一部の優等車両にだけ設置されていたのが、編成の全車両に設置されたのが「動くホテル」と呼ばれた理由でした。
20系B寝台は一度だけ利用したことがありましたが、当時、子どもだった私でも狭いなと感じたほどでした。
狭い寝台でも「動くホテル」と絶賛されたのは、それがその時代なのかなと思いました。