九州寝台特急の思い出

寝台列車
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私の親の実家が鹿児島ということもあり、子どもの頃は毎年、夏休みになると寝台列車で鹿児島へ行っていました。

利用していたのは、きりしま(581系)、明星(581系、24系25形)、一度だけ、あかつき(たぶん20系だったと思う)を利用したことがあります。

一番古い記憶に残っている寝台列車は、きりしま(581系)です。

きりしまは、1970年(昭和45年)10月に登場。
運転区間は京都~西鹿児島間(鹿児島本線経由)。
1975年(昭和50年)3月に廃止となりました。

きりしまは、朝、係の人が来て、走行中に寝台を解体して座席をセットするという作業をしていました。
その光景を興味深く見ていた記憶があります。

きりしまは1975年に廃止になったので、その後は、明星を利用していました。

明星は、581系電車3段式寝台と、24系25型客車2段式寝台がありました。
どちらも乗ったことがあります。

24系25型は、EF58が牽引していました。
九州では、ED76が牽引していました。

下関と門司での電気機関車の付け替えは、一度も見たことがありませんでした。

ちょうど深夜で、起きていようと思っても、寝台で横になっていたら、どうしても眠ってしまいます。子どもでしたから。。。

その代わり、熊本での列車の連結、切り離し作業は見たことがあります。
子どもだったので、車掌さんに「おもしろかね?」と鹿児島弁で声をかけられたのを覚えています。

客車列車は、発車するときのショックが、なんともいえません。

はるか昔、581系の上段寝台に、母親と私と妹と3人で寝たことがあります。

これは、かなりキツかった。。。

寝台のサイズは、長さ×幅×高さ=190×70×68(cm)となっていますが、高さ68cmというのは、通路側の一番高い部分であって、上段は屋根がカーブになっているので、窓側へ行くほど、だんだん天井が低くなっていきます。

こんなところへ、大人1人、子ども2人の計3人は、窮屈この上なかったです。
当時、妹は幼児で無料だったので、こういうきっぷの取り方をしたのでしょうけど。。

そんなこともあり、きりしまだったか、明星だったか忘れましたが、こちらは上段寝台しか予約が取れず、その代わり、あかつきは下段が取れたので、どちらがよいか?と尋ねられ、あかつきを選びました。

しかし、子どもだったとはいえ、52cmの寝台幅は、たいへん狭く感じました。

明星4号のきっぷ

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